こんにちは、こらんしょwomanの齋藤です。
なんだか毎日すっきりしない日が続きますね。あんまり雨が続くと、川の増水が気になるところです。
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災害が少ない会津美里町ですが、実は過去に大きな被害があったことを紹介したいと思います。
それは今から約60年前、昭和31年におこりました。お田植祭後の7月14日から降り出した雨がやまず、宮川は3m以上も増水して、堤防が決壊し、高田の町中は浸水しました。農地が冠水した地区もありました。
でも、何よりも怖いのは、地滑りのために亡くなった人がいたことです。
松沢地区では、山あいの温泉宿が地滑りによって飲み込まれ、その土石流がさらに下流の荻窪地区を襲いました。宿泊客4名と荻窪の川沿いに住んでいた12名が濁流に消えました。
この大雨は、赤留地区や八木沢地区、雀林地区などにある農業用の堤を決壊させ、大水が村の中に流れ込んだそうです。
他にも、新鶴庁舎のある阿久津地区や新屋敷新田地区も、佐賀瀬川が大決壊を起こしたことで、農地は冠水。家に流れ込んだ水はかなりの水位がありました。
しかし、被害からの復興だけで終わらなかったのが、昔の人のすごいところです。
災害が起こった場所に、水害記念碑を建てて、私たちに危険を知らせてくれています。
今は、ダムが出来たり、堤防がしっかり造られたりで、あまり心配はなくなりましたが、9月1日は防災の日、身近な地区の危険箇所を確認して、もしもの備えを考えてみませんか?
記:齋藤唱子